矢口新の研究の精神は、実証的であること、仲間と共同すること。
そして教育現場で働く人々を大事にすること。
そうした矢口について、多くの人が語っています。(肩書は、執筆当時)
| Ⅰ.恩師、研究仲間が語る | |
|---|---|
| ■「行動分析による教育の開発」 | 海後宗臣(東京大学名誉教授) | 
| ■教育研究者矢口新氏を想う~選集刊行に寄せて~ 教育のリアリズムをめざし、変革をこよなく愛する社会派の先達 | 岩井龍也(九州大学名誉教授、元国立教育研究所) | 
| ■調査マンの眼を | 最上太門(東京家政学院大学教授、元国立教育研究所) | 
| ■先生の研究は10年早かった | 元木 健(大阪大学人間科学部教授、元国立教育研究所) | 
| ■軍隊でも自由な討論 | 久保田晃(駿河台大学広報部長、元国立教育研究所) | 
| ■矢口道場で学んだこと | 安田 浩(川村学園女子大教授、元能力開発工学センター) | 
| ■貧乏財団常務理事としてのお骨折り | 小澤秀子(能力開発工学センター事務局長、元国立教育研究所) | 
| ■座談会「矢口教育学の源流をさぐる」 | 岩井龍也/最上太門/元木健/安田浩/小澤秀子 | 
| Ⅱ.部下たちが語る | |
| ■矢口先生と能開センターから学んだこと | 浅野年男(元能力開発工学センター) | 
| ■君たちの眼は節穴だな | 小池いづみ(能力開発工学センター) | 
| ■能開センターはすべてOJT | 白尾彰浩(能力開発工学センター) | 
| ■ひろがった私のライフスタイル | 関根瑞恵(能力開発工学センター) | 
| ■「バクダン所長」のやさしい指導 | 山永久枝(能力開発工学センター) | 
| Ⅲ.富山県の教育改革に共に取り組んだ人々が語る | |
| ■富山県教育の夜明け(抜粋) | 塩谷敏幸(富山県土木部次長) | 
| ■富山県戦後教育の発展と矢口新 | 竹長敏夫(新湊市教育長、元富山県教育委員会) | 
| ■富山県が一丸となって呼んだ人 | 水島 保(元富山県教育委員会) | 
| ■私の出会った矢口教育学の真髄 | 屋敷平洲(富山県教育委員長、元富山県教育委員会) | 
| ■矢口新発案の教育センター方式/第三次総合計画のことなど/富山は40年間勉強させていただいた | 加賀谷新作(北陸工業専門学校校長、元富山県産業教育館) | 
| ■現場主義、産業教育館での教え | 岡田俊雄(元富山県産業教育館) | 
| ■《座談会》富山県教育研究所の果たした役割(抜粋) | 富山県教育研究所OB | 
| ■《座談会》富山県における矢口新の実践と研究 | 富山県総合教育計画関係者 | 
| Ⅳ.学校教育現場で働いた人々が語る | |
| ■川口プラン発表会での出会い | 堀越通雄(茨城県谷和原村教育長、元茨城県筑波地方事務所) | 
| ■子供たちの活動が地域を動かした、教師も共に学んだ | 古谷茂夫(茨城県水海道市教育長、元水海道小学校) | 
| ■矢口先生と当時の水海道の共同研究 | 飯沼 敦(茨城県水海道五箇小学校、元水海道小学校) | 
| ■今に生きる提唱 | 大久保団次(茨城県守谷中学校校長、元水海道小学校) | 
| ■常に建設的実践人をめざせ/地域の建設と教育の創造 | 荒舘 實(元富山県北加積小学校校長) | 
| ■先生のその一言が生きている/青年教師の思い出 | 奥平 正(富山県滑川中学校校長、元北加積小学校) | 
| ■生きている矢口先生の心 | 杉本 博(富山県福光町教育委員会、元福光町教育委員会) | 
| ■深夜の研究会/先覚者矢口先生 | 衛藤憲章(元大分県金池小学校校長) | 
| ■T.O.Y.の思い出 | 高木正一(元富山県西田地方小学校) | 
| ■学習の個別化とプログラム学習の発足 | 朴木俊次(元富山県大島小学校校長) | 
| ■いきなり八幡製鉄へ | 盛野成信(北陸工業専門学校、元富山県理科教育センター) | 
| ■生徒は教えられて利口になるのではない | 明瀬正則(元富山県科学教育センター) | 
| ■忘れえぬ言葉 | 北 哲(元富山県科学教育センター) | 
| ■「教育とは教えることではないんだよ」 | 米島秀次(富山県二上工業高校、元富山県科学教育センター) | 
| ■仲間づくりの大切さ | 北 慎吾(富山県高岡工芸高等学校) | 
| ■「あせってはだめだよ」 | 水島文明(黒部市教育センター) | 
| ■矢口新先生との出会い | 柴崎宣雄(横浜市立商業高等学校別科) | 
| ■≪座談会≫「電気の性質のしらべ方」探究学習の実践をめぐって | 探究プロジェクトメンバー | 
| Ⅴ.仕事の場における能力開発に取組んだ人々が語る | |
| ■新しい光 | 大島毅一(大同特殊鋼専務取締役、元八幡製鉄所) | 
| ■迫力を実感する | 八幡製鉄ビルディング総務課長、元八幡製鉄所) | 
| ■脳の話にショックを受けた/人間優先の矢口思想に導かれて25年 | 紙谷良夫(九州国際大学理事長、元黒崎窯業秘書室長) | 
| ■製糖工場オートメーション化の成功をもたらした従業員教育 | 兵頭 暁(協立エンジニアリング) | 
| ■目をひらいて/みんなに自信を与えてくれた | 安倍晋一(大日本製糖常務取締役) | 
| ■矢口イズムの印象とその継承について | 米澤崇夫(大日本製糖) | 
| ■初めての教材作り―教えられた見方・考え方 | 山下文夫(大日本製糖) | 
| ■矢口先生の教え/天然ガス転換事業と調整員2千余名の教育 | 佐藤行一(元大阪ガストレーニングセンター所長) | 
| ■『能力開発のシステム』に感動 | 芝尾紘一(三井石油化学) | 
| ■川崎製鉄における教育革新と矢口システム | 小島英徳(元川崎製鉄能力開発部) | 
| ■矢口先生の思い出/矢口方式訓練は、現場に働く人々を真に「知的な存在」にかえる | 奥田健二(元日本鋼管鋼管教育部長) | 
| ■不肖の弟子 | 村井敏夫(元旭化成工業教育部長) | 
| ■矢口先生に教えられた「教育の本質」 | 吉田政孝(黒崎窯業人事部課長代理) | 
| ■行動を見ることのむずかしさ/小諸自動車教習所の運転教育者システムと矢口イズム | 木島公昭(小諸自動車学校) | 
| ■学習プログラム開発の思い出 | 長岡明美(元KDD国際電話交換訓練部) | 
| ■意慾的な保全マンの養成 | 南 武雄(リコー沼津事業所) | 
| ■「脳の科学」という言葉 | 中辻吉郎(運輸省航空事故調査委員会) | 
| Ⅵ.教材・教具作りの仲間たちが語る | |
| ■矢口さん | 上野耕三(記録映画社社長) | 
| ■いわゆる「矢口発言」 | 藤井健治(日本映画教育協会) | 
| ■初対面の先生/不思議な経験 | 室田 倬(茨城職業訓練短期大学校長、元東京書籍) | 
| ■非凡なる監修者の面影 | 向後 環(元朝日新聞社) | 
| ■矢口新先生とCAIシステム研究 | 小荒井順(日本電気ソフトウェア教育システム部長) | 
| ■≪座談会≫「コンピュータリテラシー学習システム」の開発及び学習実験をめぐって | 学習システム開発と実験に関わった人々 | 
| Ⅶ.矢口新を支援した人々が語る | |
| ■矢口君と生産性本部 | 郷司浩平(日本生産性本部会長) | 
| ■借りものでない | 井手 勝(元日本電気航空管制本部本部長) | 
| ■矢口新先生の思い出 | 呉 守夫(元三菱信託銀行専務取締役) | 
| ■“焦らずに”と言いたかった | 前田隆一(大阪書籍相談役、能力開発工学センター副会長) | 
| Ⅷ.セミナー卒業生やボランティア活動を共にした人々が語る | |
| ■いつまでも忘れない矢口先生 | A.O.ガージ(サウジアラビア リアド工業高校、研修生) | 
| ■「開かれた心」の矢口教室 | 寺嶋祐一(SRA、能力開発セミナー卒業生) | 
| ■国際技術協力の哲学を学んだ | 上谷良一(兵庫県立教育研究所) | 
| ■かけだしインストラクター、ぎゃふん! | 北村恭子(科学技術リテラシーセンター東京教室) | 
| ■ボランティアの世界で | 原野町子(英語教師、元ホームアジア会員) | 
| ■感銘深い『日本における科学思想』 | 岩垂 弘(朝日新聞社) | 
| Ⅸ.家族が語る | |
| ■忘れ残りの記 | 矢口志津子 | 
| ■父との散歩 | 矢口みどり |